空をみて

写真をスマホで撮り続けて半年以上経った。旅先で綺麗なもの珍しいものを見たとき発作的に収める程度だったのが、今では日常の自然を収めようとしている。今まで絵画や彫刻、陶器などの展覧会は興味をもっていたが、写真展はほんの少し、それに一度写真集を頂いたことがあったけれど何となく見ていた程度。なぜ撮っているのか・・

低迷時から少し抜け出しかけていたがやはりどうしようもなくなって歩くことにした。住んでいる近くの大きな公園では沢山の樹々が待っていてくれて、それを見上げればやはり樹の天辺と空が広がって、太陽の光 があって刻々と静かに変化していく様子を見せてくれた。遭遇していることと全く逆の「様」で、それが自分の中にしっかり入りこんでくる、こころ洗われるそのもので何ていうか同化するような、この感覚で合ってるというか。そして見えている景色と自身だけとなりなぜか分からないけれど写真のボタンを押していたということである。なので今は上手下手、受ける受けない・・ことの意識から少しずれているのかもしれない。それが頑固さ不器用さにつながるのかもしれないが自分が欲した瞬間を捕まえるように撮っていて又なかなか捕まらないところを追いかける、が続いているのである。言えるのは綺麗だと感じている時間がとてもシンプルで心地いい。

そして今はそのお蔭で、物・人・事を正面から見てやっと自身の姿を現せるようになってきた。(元々はつらつだったのが長いこと雲隠れみたいなことになっていた)それに何より一歩踏み出せたことで素敵な人にも出会えたことが嬉しいこと。今年は写真を通して初めて見事な紅葉も心に刻むこともでき、親に見せて喜んでもらえることができて良いことが続いている。

そして撮りながら自身もいろは紅葉のように変容していけたらいいなと思う。考えてもみなかった写真、携帯で撮れるようになっていて有難い。

今夜もオリオン座・・きれい、うまく撮れないけれど。

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